昨日の地震から約24時間が経過。
食料の備蓄が少ないので地震後、初めて外に出ました。
地震の際の備蓄の用意はしてたのですが今回の地震の状況が分かるにつれて甘かったことを痛感しました。
東海地震やと東京直下が地震が起こったことを想定した場合、最低でも3日分。
出来れば一週間は外に出なくてもいい環境を整える必要があると感じました。自分と同じ高層マンションのお住まいの方は、エレベーターが使えなくなるとライフラインが寸断されるので特に準備が必要ですね。
今日の豊洲は晴天、街にも見た感じ変わりがないので
昨日、あの地震があったのがウソのようでした。
3丁目の道は、いくつかこんな感じになっていて地震の爪痕を感じます。
しかし、震度5強でもライフラインも途切れずほとんど街の姿が
変わらない豊洲に頼もしさを感じました。
ららぽーと豊洲に行ってみると土曜日は、
本来ならすごい混雑なるのに人もまばらです。
本日は、休館になっていました。
海沿いの施設だからなんでしょうね。
いつもより海の水位が低いです。
ららぽーとは休みでしたが「あおき」は営業していました。
お客さんが多いので入場制限がされていました。
ビバホームは正面玄関は閉鎖され、1階だけ営業。
お客さんがごった返していました。
パン屋さんは、「ベルベ」、「ペル・エメル」ともに営業。
品数は少なくなっていましたがパンが購入できるのはありがたいです。
食料品は、いつもの「さかがみ」で。
商品も十分ありレジもスムーズでした。
また、日が沈みます。
実家(宮城)の両親とは連絡が一度取れ、無事を確認しましたがその後は全く音信不通。壊滅したという女川の友人は連絡が取れずじまい。
テレビで故郷の惨状を見るたびに胸が痛みます。
コメント
こんばんは。
前にお会いしたときお話ししたかもしれませんが、小学生の頃、今の宮城野区に住んでいました。
今回、大被害のあった名取川河口付近の閖上でよく父と釣りに行っていたので、とても悲しい気持ちになります。
私なんかよりもっとご心配かと思いますが、頑張っていきましょう。
そうでしたか・・
知っている場所、聞き馴染みのある土地の名前、近隣の県、
あまりの被害の凄さと変わり様に呆然とせざるを得ませんでした。
実家は内陸部なので津波被害に会うことはないので
そこだけは救いです。
とにかく出来ることからやって行くしかないですね。